恥ずかしい作品は恥ずかしくない

私自身の小学1年生の時の出来事。今でも時々考えさせらえます。

小学校の展覧会に向けて、クラスで共同作品を作ることになりました。

テーマはロボット、もちろんダンボールなどで作る物です。

みんなが持ち寄った空き箱や色紙で制作します。

「この箱つけたらミサイルみたいでかっこいいよ!」「ここに穴あけて操縦士の入り口にしようぜ!」という感じで好き勝手にセロテープぐるぐる巻きでかなりぐちゃぐちゃのロボットができてきました。

「では明日も続きをします」と帰りの会でさよならの挨拶をする前に「ちょっと展覧会準備があるので何人かお手伝いで残って欲しいんだ」と先生は数人の子供を指名し、私もその中に入っていました。

放課後、そのお手伝いというのはみんなのロボットの修正作業でした。きっと先生には「見るに耐えない」出来だったのでしょう。何人かの「言うことを聞く子」だけで、先生の言う通り余計な物はとって、テープではなくボンドで、色紙を貼って仕上げて・・・結果ほぼ原型を留めない「恥ずかしくない」レベルのロボットが出来上がりました。

「わーきれいになったねー」「明日みんなびっくりするよね!」と残ったメンバーはそれなりの満足感があったと記憶しています。

翌朝”残らなかった”児童が登校すると「え!なにこれ?!」「なんで?」「おれたちのロボットはどこ?!」とまあ当然ですがみんな驚いたり動揺したり。

子供ですからそれほど深くは考えなかったですし、中にはきれいになってうれしいという子もいたでしょう。

でもよくなかったと思います。自分たちの創作が否定されたわけですから。自由な発想よりきれいな仕上がりが優先されたわけですから。

2年に一度の展覧会。そこで幼稚園児と同じレベルの作品では見に来た親御さんもがっかりされるだろう。子供たちも恥ずかしいだろう。先生はそう思ったのでしょうか。もしかすると指導者として自分が恥ずかしいと思ったのかもしれません。

あの時セロテープぐるぐる巻きでミサイルや操縦士の入り口の穴のあるロボットを展示するべきだったと思います。恥ずかしいレベルの作品でも、そこにアイディア、工夫、熱意があったなら作品の完成度よりずっと価値があると思うのです。

「恥ずかしい」という見方で、創造にブレーキをかけないようにしましょう。

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